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国際社会における国家間の関係の対等性、非権力性
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国際社会の基本的構成要素である主権国家は、それぞれが最高独立の主権を有している。したがって、わが国が、外交交渉を行い、外交関係を築く相手方となる他国に対して、権力的な手段を用いて強制し、わが国の意図する結果を発生させるようなことは不可能である。そうすると、わが国が、国際社会において望ましい果実を求め、国益を実現しようとすれば、他国との交渉という手段を用いるのが基本であり、交渉に係る戦略及び戦術の巧拙によって、国益、日本国民全体の利益の確保を図り得るか否かが左右される。
しかも、外交を通じて国益を実現しようとするのは、ひとりわが国のみではない。他のあらゆる国も、当然のことながら、それぞれの国益を維持・確保し、増進させることを目的として、他国と外交交渉を行い、外交関係を築くのであるから、わが国の意図と他国のそれとは一致するとは限らず、むしろ当初は一致していないことの方が通例なのである。そこで、ねばり強い交渉等の外交工作を行い、普段から築き上げた外交関係等を利用して、その利害の不一致ないし衝突を調整し、わが国の国益に添う結果を追求すべきこととなる。これが、今日の国際社会における主権国家の外交交渉の存在理由である。
以上は、国際機関に関しても同様であり、わが国が国際機関に対して、何ら支配・命令の権限を有しないのは当然であるから、国際機関における意思決定に関しても、上記と同様に種々の外交関係を利用した外交工作を行うことが必要となるものである。
「国際社会では今日もなお、各国はその固有の伝統と価値観に従って対外関係についての判断と行動を決定しており、これに対して上下の階層関係による権力を背景に支配し命令できるような、集権化された権能を備えた国際機関は一般に存在しない。」(山本草二・国際法新版2ページ)といわれるのは、以上のような国際社会の性質を表すものである。
しかして、交渉、工作に当たっては、相手方の真の利害関心、意図、状況、境遇、弱点等について、より正確な情報を幅広く収集し、分析する一方、自国に関するそれらの情報については厳重に管理して、不利なものを漏れるようなことがあってはならず、利益をもたらすものは最も効果的な時機、方法において伝達する必要がある。これらのことが、外交交渉、外交工作に限らず、古今東西を通じた交渉ごとの鉄則であることは、常識である。
このような国際社会の特質及び交渉というものの本質に照らすと、各国は、自国の意図、戦略、戦術、外交上の手段等に係る情報を厳格に管理し、不用意に他国に知られることがないようにして外交交渉を行うものであり、他方、他国のこのような情報については、できるだけこれを収集して優位に立とうとするのである。わが国も、一箇の主権国家である以上、日本国民全体の利益を図るためには、同様の努力を傾けて外交交渉に臨むことは当然であるし、また現実にも、そのようにして外交交渉を行っているのである。
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国際社会における相互連関性
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国際関係においては、外交案件は独立して存存するものではない。むしろ、多種多様の外交案件が互いに関連し合って外交場裡に存在している。したがって、ある一つの外交案件のみを念頭に置いて行った活動が、その余波により別個の外交案件に影響することがしばしば起こる。同様に、ある一つの国との関係で行った活動が、第三国との関係に影響を与えることもしばしば起こる。
さらには、外交案件には、通常の事務にいうような意味での「既済」という概念がない。一見、当該案件に関しては落着をみたようであっても、その後、時の経過につれ、わが国又は他国その他の国際情勢が変化することによって、あるいは他の案件の出現に伴って、再度、当該案件が解決を迫られる課題となることもあるのである。
このように、国際社会においては、種々の案件が絡み合った複雑な様相を呈しているとともに、一箇の外交案件も、時間の経過に伴って千変万化を示すものである。
したがって、外交事務においては、目の前の情勢、案件のみを見た皮相な判断は禁物であって、他の案件、将来の情勢を見越した巨視的かつ先見的で、慎重な判断が要請され、そのためにも継続的な情報収集その他の外交工作が必要となる。
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情報収集その他外交工作、外交関係の要諦
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国家と人民との間のような権力的関係が存在しない国際社会において、相手方から、任意の手段によって、あらゆる必要な情報を的確に入手し、その他外交工作のため必要な協力を得るためには、相手方との間に緊密で強固な信頼関係が必要である。また、外交関係の構築に関しても信頼関係が基礎となることは、論を待たない。
そして、一般的に、信頼関係の構築は困難であるのに対し、それを崩壊させることは容易である。したがって、外交事務においては、信頼関係を構築し、それを保持し続けることが肝要となる。
ところで、このような情報収集その他外交工作等の相手方は、協力しているという事実関係を他人に知られることを極度に嫌うものであり、かつ、世界には種々の国家、組織、人があり、それぞれの行動原理、価値基準が、わが国においては通常考えられないようなものである場合もあるから、外交工作等に応じている事実を他に知られた当該外交工作の相手方の身に不測の事態が生じることもあり得る。このため、わが国としても、相手方の 協力を継続的に得るためには、工作に応じている事実を余人に知られたくないといった要請ないし期待に応えることが必要不可欠である。仮に、このような非公開における関係の維持、継続という保証が失われれば、相手方は、わが国への情報提供又は協力を行うことを躊躇し、場合によっては我が方との接触そのものを拒否するという事態にさえ立ち至るおそれがある(これを萎縮的効果ということもできよう)。
さらに、外交事務は、国の活動全般に関し、政治、経済、文化等、ありとあらゆる分野にわたって行われるものであり、また、外交の相手方となる国家、組織等は全世界に及ぶのであるから、必然的に、外交事務遂行の現実的な対象は、全世界のあらゆる職業、地位、階層、境遇、信教、思想信条の者に及ぶ。かかる対象者の多様性からすると。対象者との信頼関係の保持を全うするためには、外交工作等は、現実の相手方が何人であるかにかかわらず、最も脆弱な相手方を想定して、上記のような要請ないし期待に応えるよう活動しなければならない。そのような弱い立場に置かれた相手方は、同人自身の場合でなく、他人の場合であっても、それを我が身に置き換えて、工作に応じている事実が明るみに出た場合等に起こり得べき身の危険ないし不利益について不安感を抱くからである。
また、現代における情報の流通・拡散の増大化、高速化に伴い、さらに、国家その他の組織による諜報活動等の能力の高度化に伴い、例えば一見片言隻語と思われる言辞からも協力関係等の存在が察知され得るようになっており、今日の外交事務遂行に当たっては、相手方の立場を保護し、信頼関係をつなぎ止めるために、当方の外交活動にかかわるあらゆる言動・活動に留意する必要性が大きくなっている。
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信頼関係構築のための継続的努力
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外交事務は、一朝一夕で形成されるものではない。不断の水面下の努力こそが外交事務を進展させる。外交官と情報提供者や協力者等との間の信頼関係は、自然発生的に確立されるものではない。相手方の立場に十分配慮した機会や場所を設定し、他者の目を気にすることのない交流が積み重ねられて初めて揺るぎない信頼関係が生まれ、それが次第に安定して、強固なものとなる。そのような信頼関係が持続されるに従って、互いに忌たんのない情報交換や協力が成立するようになるのである。
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